軍艦島ストリートビュー




軍艦島概要

交通アクセス

島内の建築物

島内と室内を散策


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以下YouTubeより
動画で軍艦島を学ぼう
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ワンダーJAPAN TV 軍艦島SPECIAL 【Gunkanjima Special】


軍艦島(端島)に上陸してみた
 【廃墟訪問】



[廃墟]再び軍艦島を歩く
[最後の潜入]



日本長崎縣軍艦島紀行


歴史的廃墟「軍艦島」の現在


軍艦島黙示録 Vol.01
「軍艦島ベストビュースポット」





軍艦島ストリートビュー

【 軍艦島の歴史 】

かつてこの日本に炭鉱で栄えた海上都市があったことを皆さんご存知でしたでしょうか?
2013年6月この「軍艦島」がGoogleストリートビューで見れるようになりました。

その前に軍艦島ってどこにあるの?と言う方一緒に軍艦島の歴史について触れてみましょう


九州の長崎半島から西へ約4.5キロ離れた場所にあり、本来は端島(はしま)という小さな島だったが

大正時代その島の形が当時三菱重工業長崎造船所で建造中だった日本海軍の戦艦「土佐」に

似ているとして「軍艦島」と呼ばれるようになったとされている。


(上が軍艦島で下が戦艦「土佐」・・確かに似てる)

当初この島は現在の3分の1程の面積しか無かった小さな瀬だったのですが周囲の岩礁・砂州を

1897年から1931年に渡り6回の埋め立て工事によって拡張され現在の姿となってます。

海底炭鉱の発展により数回の拡張工事で島内には飲料水の整備、小学校建設そして

日本で最初の鉄筋コンクリート造の集合住宅も建設されました。その他店舗、病院

寺院、映画館、理髪店、美容院、パチンコ屋、雀荘、社交場等もあり完全な都市機能を

有していたという。人口が最盛期を迎えた1960年には5,267人の人口がおり、人口密度は

1Kuあたり約8万人と世界一の人口密度を誇ったという。しかし1960年以降は主要エネルギーの

石炭から石油への移行により炭鉱もその時より徐々に衰退し始めついに1974年(昭和49年)全ての

炭鉱が閉鎖され約2,000人まで減っていた住民は4月20日までに全て島を離れ無人島となった。




軍艦島の歴史についてはこちらをご覧下さい
ワンダーJAPAN TV 軍艦島 SPECIAL

その後数十年時代から見放されたその島は現在・・・

近代化遺産としてまた廃墟ブームの一環でもしばしば話題に上り一部メディアにも取り上げられたが

荒廃が進む島内では建物の老朽化の為危険な箇所も多く島への立ち入りは長らく禁止されていた。

2008年長崎市で「長崎市端島見学施設条例」と「端島への立入の制限関する条例」が成立した事で

島の南部に整備された見学通路に限り2009年4月22日から観光客が上陸・見学できるようになった。

解禁後の1ヶ月で4,600人が上陸、その後半年間で34,000人1年間では59,000人、この3年間では実に

廃墟ブームの影響もあり275,000人の上陸数を記録しこれによる経済波及効果は65億円にも上ると言う。

又2006年8月には経済産業省が端島を世界遺産への登録を支援することを決定し2008年9月

世界遺産暫定リストに記載されることが決まった。そして2013年6月28日長崎市の協力の下、

立入禁止区域や屋内を含む島内全域を撮影した端島のGoogleストリートビューが公開された。




【交通アクセス】    ページTOP
島内には飛行場はなく船が島への唯一の交通機関、1970年の時点では長崎港より片道50分1日12往復

で運行されていた。島が無人となってからは定期便は廃止されていたが上陸を試みる無法者

は海上タクシー等を利用していたと言う。近年の廃墟ブームや近代化遺産として端島が注目

されるようになってからは前述のように周囲を巡る遊覧船で行き来できるようになっており

ちなみに遊覧船料金(施設使用料込)は大人4千数百円と結構お高め?妥当?の料金。

船で島に行ったとしても上陸出来るか出来ないかは天候次第だそうで、上陸出来ない場合

施設使用料の300円は戻るが残り4千円は返金されないらしい。※欠航なら全額返金

2月と9月はほぼ9割上陸できるそうだが、7月の上陸率は30%程にとどまっているとの事。
(台風の影響?)





【島内の建築物】    ページTOP
日本初の鉄筋コンクリート造の高層アパート始め狭い島内での建築物には色々と

工夫がこなされている。限られた敷地内に多くの住人を住まわせる為には建物を高層化する

必要があったが鉱長や幹部職員等の高級住宅は木造作りであったという。

多くの住民が住んでいた高層アパートの中には売店や保育園、警察派出所、郵便局、

パチンコ屋等が地下や屋上に作られた。そして何と島には旅館まであった。

又乱立する高層アパート同士を繋ぐ複雑な廊下は通路としても使用されて雨が

降っても傘を差さずに島内を歩けると言われた。

しかし驚くことにその高層アパートには資金不足のためエレベータが無かった、

お風呂はと言うと個別の浴室設備があったのは鉱長社宅と幹部職員用のアパート

職員用集会宿泊施設と島内唯一の旅館「清風荘」だけだった。

トイレはと言うと閉山時には約半数が水洗式が導入されたもののそれ以前は落下式

で、炊事場は閉山まで共同の所が多かったと言う。

木造や鉄骨造で建設された建物は、風雨・防水加工・無人化によって維持管理がなされ

なかったことから劣化が進み一部は完全に崩壊している。


【島内と室内を散策!】    ページTOP



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